靴擦れ
- 思いついたまま
ここ数年ウォーキングをやっていて気付いたことがあります。
けっこうハードに歩いているものですから、ウォーキングシューズが傷み1~2年で靴を新調することになります。特にメーカーにこだわりがあるわけではなく、その時の気分で購入しますが、新しい靴で歩くと必ず靴擦れを起こし水ぶくれの洗礼を受けてしまいます。
バンドエイドのお世話になって傷が癒された頃、再度恐る恐る靴擦れをおこしたその靴で歩いてみると、不思議な事に2度と靴擦れはおきません。
シューズが足に合わせて変形してくれたのか、それとも足が靴に順応したのか、たぶん後者が正解だと思います。
靴擦れを起こすたびに「こんな靴を買って失敗した」と思うのですが、1年も履き親しむと気がつけば無二の友になっているのです。
人間の順応力はこのように大変優れた能力を持っているのですが、その対応力をもっても親友になれない靴も存在すると思うのです。
上っ面だけはスニーカーのように軽量で風通しの良い組織にすべきだと言いながら、靴の底は厚く旧態然とした古くボロボロの重い皮底のまま、悪い事に歩く道も遠くを図りながら歩くのではなく目先のことしか見ず、又、その視点も定まっていないので結果的にドロや砂利や沼に入り込んでしまい、今ではあたらしい靴のイメージさえも見えなくなっている日本という靴が存在しているのです。
他の国は一足先に軽量で快適なスニーカーにしたり、福祉に厚い靴を考案したり、組織の素材を革新したりしているのに、時代に逆境した靴を履かざるを得ない国民は何枚バンドエイドがあっても足りません。その古臭くカビがはびこりつつあるボロ靴の要である靴紐は、僅か一年前に病んで急遽新しい靴紐に新調したばかりですが、先日、その目立たなかった靴紐は自ら新しい靴紐を捜してくれと言って退陣してしまいした。昨日新しい麻生靴紐が新調されましたが、その重い靴底を根底から変えなければ、世界の潮流に取り残されている日本をリニューアルすることにはならないのです。
快適なスニーカーの国に履き替えたいとも思ったりしますが、生まれ育った四季のある豊かな自然が美しい日本という国を愛していればそんな決断もできません。
そろそろ自分達の力で履き心地の良いスニーカーを創って行こうという新たな意志を持って、根本から靴の見直しをしなければならない時が来ていると思い始めています。