ペルガモン博物館って許されるの?
- わくわく旅行
今回の旅行でも何箇所か古代遺跡を訪れたのですが、こうした遺跡を巡るたび思うのは「この遺跡の全盛期の姿はどうだったのだろう?」という疑問です。
想像力に乏しい私として一番知りたいのは、年号や時の支配者の名前ではなく、この遺跡の全盛期の街の躍動する姿なのです。街の景観や神殿の偉容はもとよりそこで生活していた庶民の姿なのです。
ギリシャのアクロポリスの丘あたりまでは何とか古(いにしえ)の世界を想像することが出来ますが、ここベルガマ(ペルガモン)あたりの遺跡となると、ここが貴重な遺跡なのか、単なる廃墟なのか全く区別がつかなくなってしまいます。
もう10年前になるでしょうか、さる会でドイツ・スイスの旅に参加した折、ベルリンに立ち寄り東西冷戦の象徴であったベルリンの壁等を見て廻ったのち行ったのがペルガモン博物館でありました。
当時はペルガモンの名称ですら初めて耳にしたものですが、その響に未知の世界への憧れが増幅したものです。
行ってみて驚いたのは、そこのメインの展示物はペルガモンであり、どうやら遠く異国の地から運ばれて来たものらしい・・と言った程度の驚きだったのです。
しかし、トルコのこの地を訪れてつくづく思うのはやはり「歴史的遺産は元の場所に戻すべきだ!」という確信なのです。
遺跡にとっても、その地方にとっても望ましいのは過去の遺産を大切にしながら共生していく術を身に付けていくことなのでしょう。今の時代、いくら声高に発掘したのは私だ!と叫んでみても、やはり歴史は今ある場所にあるのが自然の姿であって、いくら当時に近い姿で再現したとしても異国の地に於いては違和感があり、遺跡そのものも淋しそうです。
今のペルガモそのものは、とても寒々しい遺跡でしかありませんが、何時の日か本来ある場所に落ち着いた折には、遺跡の近くの食堂でドイツの美味しいサワークラフトの味わいながら、ドイツ人の探究心と利他の心に感動しながら、食後に美味しいトルココーヒーを飲んで遺跡の悠久の歴史に想いを馳せるそんな日が来れば嬉しいなと思います。