夏至
- 思いついたまま
毎年、夏至を迎えると必ず想い出すシーンがあります。
それは小学校の低学年の頃、夏至の日の夕方母親とならんで飯田線の踏切にさしかかった時のワンシーンです。
その遮断機も無いささやかな踏切の前で、母はわたしに今日は夏至といって一年で一番日が長い日なんだよ・・・と、教えてくれたのでした。
何故かその何気ない日常の一角だけが私の記憶に鮮明に焼きついているのです。
今日もそうでしたが、一年中で一番日が長い夏至のこの時期は梅雨の影響で曇りか雨の日が多いのですが、母に踏切のところで夏至と言う日があることを教えてもらったその日はよく晴れていました。
夏至は一年で一番日が長いという事実から、なにか得をしたような、何でも出来るような嬉しさと喜びと共に、明日から日が短くなっていってしまう淋しさが湧いてくるような、嬉しさと淋しさが同居している複雑な一日でもあるのです。
母との良く晴れた夏至の日の印象が鮮明に残っている為か、あれ以来夏至を迎えるたびに空の様子をを気にしているのですが、あの日のようにカラッと晴れた日に遭遇した記憶はあまりなく心のどこかに違和感を感じながら一日を過ごしています。
いつか、母に教えてもらったあの日のように晴れた夏至の年が訪れたら、あの懐かしい踏切に行ってみたいと思っています。