伊那まつり花火大会
- ほんの出来事
昨日の伊那まつり踊りに続き、今日は39回伊那まつりの花火大会ですが、その歴史は古く昭和33年(1958年)に伊那まつりの前身である「伊那の勘太郎祭典」からの花火大会ですから相当な歴史を誇る大会です。
私が伊那商工会議所の副会頭に指名され、その時に伊那まつりの花火委員長を仰せつかって7回目!の花火大会なのです。お祭りごと大好きな私でありますので、こうした催しは地域の活性化につながる大きなイベントでありますので、普段以上にリキが入ります。
今年は3月の東日本大震災を踏まえ、花火大会のような華やかな催しものはいかがなものかの議論もありましたが、日が経つにつれ萎縮よりも活性化のほうが被災地支援につながるのではないか、との意見が大勢を占めてきましたので、近隣の地域が全て花火大会を中止を決定した中でありましたが、今回の花火大会の開催に漕ぎつける事が出来ました。その結果、伊那市の友好都市である会津若松近隣の子供たち有余名と関係者200名をお招きしての花火大会にもなりました。
このように書くと如何にも私が花火大会を開催したいと思っているように錯覚されそうですが、花火大会委員長の重責から逃れたいのが正直な思いです。だって2年前の開催直前の雷にも敢えて開催を強行したのが私であり、それから何人もの人から「あの状況で開催する神経が理解出来ない」の至ってマトモなご意見をいただきました。でも午後3時の開催決定検討会の時には晴れている状況の中で、誰が4時間後の中止を決断出来るのでしょうか?
でも、全ての責任は主催者側に押し寄せてくるのは当然で、結果「花火委員長の日頃の行い?(=人格!!)」にまで波及してくるのです。冗談じゃ無い!と内心思っても言われるがままに「すみません不徳の致すところで・・・」と会う人毎、謝らなくてはならない自分がいるのです。
でも、今夜の花火は途中少し小雨に会いましたが、結果オーライの花火大会になって今ホットしています。
いつでも辞表を懐に携えつつの「花火委員長の席」は来年も続きそうで(上手くいけば)嬉しくもあり、(雨が降れば)辞任に追いやられそうで、両者魅力がありますのでとても複雑な気持ちで終えた今回の花火大会になりました。