交通マナーと国の豊かさ、国民の心の豊かさ
- 思いついたまま
わたしは海外旅行していて、その国の豊かさを測る尺度のひとつに自動車運転マナーがあります。
バスやタクシーに乗りながら、自分はこの国で車の運転が出来るだろうか?と考えながら観光してますが、絶対運転できないのは、フィリピン、インドネシア、ベトナム、中国をはじめとする東南アジア全般はたぶん無理だと思います。ヨーロッパでもナポリあたりは遠慮願いたいところです。そこにいくと、アメリカ(グアム、サイパンを含む)は私でも運転出来そうです。
その差は何んなのかな?と考えてみると、たぶん交通インフラの充実は国の豊かさの差として現れていると思いますが、交通マナーはそれぞれの国民の心の豊かさの差であるような気がしてなりません。
確かに、車線も信号も無いとそこには・・少しだけでも鼻先を突っ込んだ車が勝ち!・・といった光景が日常化しており、そのささいな勝利?で溜飲を下している庶民のささやかな日頃のうっぷんを晴らす姿が垣間見られます。
日本でも、料金所の先が渋滞している時など同じような状況におかれますが、30年ほど前の日本は東南アジアの現状とよく似ていました。しかし、最近は大人のマナーを心がけ交互に道をゆずる光景が多く見られます。それだけ日本は大人の国になったと言えると思います。(でも時々、心が東南アジア系の人もいますが・・)
そこにいくとアメリカでは車線もゆったりとしている為か、運転もおおらかですし、ましてや割り込みなどの光景は見たことがありません。
わたしも最近運転マナーが悪い人と遭遇した時、急用を抱えている人か心が貧しい人であると考え、少なくとも自分だけは落ち着いたマナーを心がけようと思いながらドライブしています。