懐かしい Radio Control 時代 ③
- 華麗に加齢
- 密かな楽しみ
なにしろ昔の模型エンジンは中々始動(かかる)しませんでした。
当時は大きなエンジンは高価だったし、大きなエンジンにすると当然機体も大きくなり壊した時のショックと金銭的な負荷が余りにも大きかったので小さなENYA09とかFUJI09を機体に乗せていました。
ディーゼル(ディーゼルはパワーがなかった)ではなくグローエンジンだったのでプラグのニクロム線を電池で発熱させて点火する必要がありましたが、何回プロペラを廻してもエンジンはかかりませんでした。
キャブレターに燃料をスポイトタンクで注入(チョーク)するんですが、多すぎると燃料過多でカブってしまい点火しないし、冬など外気が寒いと手袋をとって素手でエンジンの外周を温めてやらなくては点火しませんでした。
寒い日などは午前中から兄貴と二人でエンジンと格闘しますが、午後になってもピクリともしないことが多々あり、また模型屋さんに走って行ってマツダの鉛電池を買って来たりしたものでした。こうして日長(ひなが)一日パッコン、パッコンと手でプロベラをひたすら廻し続けたのでした。
ですから、エンジンがかかったときは狂喜乱舞すると共に、ようやくかかったエンジンが止まらないうちに飛行機を飛ばさなくてはならなかったので、その時の高揚感と焦りと緊張感は今でも鮮明に蘇ってきます。
その頃は毎週日曜日、近所の稲を刈ったあとの田圃で模型飛行機と格闘してましたが、あの当時の情熱と熱い思いは何だっただろうな?って思うほど楽しく充実した日々を送っていたのでした。