ムラッ気
- 思いついたまま
ムラッ気という言葉は余りいい印象がないと思う。
ムラッ気の言葉からは「勝手気まま」「移り気」「気分屋」からはたまた「自分勝手」、そんな言葉のマイナスイメージを何となく自分に植え付けて今日まで来てしまった様な気がしています。
でもよく考えてみると、人間いつも同じリズムと心の平静さとモチベーションを一直線で保ち続けれるはずはありません。
ですが、心のどこかに常に成長し向上し続けていく理想の自分の姿があり、その成長線は右肩上がりの一直線の理想像を強い太線で描いているのです。
理想の成長線をトレースしようとすれば私のような凡人には、日々消化しなくてはならない課題は増える一方であり、そして重圧ばかり重くのしかかって来るあげく、消化出来ない自分を冷淡に見つめるもう一人の自分がいて、自己嫌悪と消化不良の負のスパイラルに陥っていくそんな悪循環にはまり込んでしまうのです。
真面目で几帳面な人ほどそんな傾向があり、今で言うニートや引きこもりの人が増えてきたのもそんな要因があるような気がいたします。
それは周囲が望む理想像(・・でもそんな優等生はアンビリーバボゥー!)に答えられなく、自分が描く理想像にも程遠い(当たり前!)日々を過ごし続けていれば、なんとなくブルーになってしまうのは当たり前です。
そこで私は最近開き直り、ムラッケを自分の長所として取り入れようと思い始めました。その訳は、わたしの近年の個人目標である、毎週一冊の本を読むのテーマに於いても、わたしのムラッケが遺憾なく発揮されているのが分かったからです。ここ数年、自分の読書歴をデータ化してみると驚くことに、月によって10冊読む月もあれば一冊も読まない月もあるのです。これは、仕事の忙しさとも関連すると思うのが心優しい人の考えでしょうが、どうも自分には当てはまらないような気がしています・・・単なるムラッ気ではないかと・・・。
私の場合は、どうもノッテ来る場が結構明瞭であり、それは制約された環境であったり切羽詰まった時間であったりしてしまいますが、その自分のムラのあるノリとリズムを的確に把握して生かすことが、最大効果を得る要諦ではないかと考えています。